尊厳学全体会議報告B03班 ケイパビリティ毀損と人間の尊厳:福祉経済政策の倫理と哲学
後藤玲子(経済哲学)・稲原美苗(現象学)・日笠晴香(生命倫理学)
事務局:金澤真実(博士研究員,開発・福祉研究),谷本和代(国際活動補助),河北祐紀(研究員,経済学史)
基本的目標設定
B03班の目的は介護や医療,福祉などの臨床場面,ならびに病いと障害当事者の生活場面において出現する尊厳問題に着目しつつ,既存の学問研究の方法的枠組(特にリベラル・デモクラシーを牽引し,牽引されてきた主流派経済学)と,福祉国家のあり方(特に近年の社会福祉基礎構造改革「措置から契約へ」の先に来るべき姿)を批判的に精査することにある.
人間の尊厳は不可侵の絶対性をもつ,毀損されることも比較秤量されることもない.この言明は尊厳を尊重する義務の崇高性を喚起すると同時に,尊厳を尊重する義務違反を糾弾し,個々人が受けた測り知れない被害を測り,社会的に補償することの重要性をも喚起する.
→「測らないこと,測るべきでないこと」と「測ること,測らざるを得ないこと」との緊張関係に留意しながら,「測る」ための理論と方法を開発する.
昨年度までの成果
専門の異なるメンバーが互いの関心に応じて,シンポジウムやセミナーを企画したり,フィールド調査を進めたりすることにより,今後の研究に大きく弾みをつけた.「認知症と尊厳・人格・最善」,「ディスアビリティとジェンダーの交差性:尊厳・人格・倫理」、「現象学と尊厳―経験と差別を考える」,「個人の福祉と労使関係をめぐる国際コンファレンス」など.主たる研究成果は次の2つにまとめられる.
1)ケイパビリティ・アプローチ,障害学と現象学,認知症と生命倫理学などの包括的な理論的・実践的枠組みが,大まかに共有されることにより,「尊厳学研究と」それに基づく「福祉経済政策の立案」に関して,より総合的で奥行きのある構図(見立て)を得た.
2)研究者自身が内包する多様で複層的な当事者性を積極的に生かしつつも,各人の立ち位置の偏りに相互自覚的であるための研究技法がいくつか考案され,理論化されつつある.
2025年度の目標設定
1.「尊厳へのケイパビリティ」という操作的概念を措定して、尊厳尊重の義務違反の事実を特定し,尊厳をも含む個人のケイパビリティを測定する方途を探る.
ここでいうケイパビリティは「本人が選ぶ理由のある(reason to value)ways of living」の機会集合(自由に,合理的に選択可能な,かつ理性的・共感的に想像可能な)を指す.
現実的には,その内容は本人が利用可能な資源と本人の資源利用能力により規定される.その不足は資源の社会的移転を要請する根拠(権利)とされる.
(家庭,学校,職場,施設,病院,国境など,さまざまな空間の)「内と外を自由に往来する」個人のケイパビリティを測定する方法の定式化に努める.ポイントは,人間行動の双対性に着目しつつ,
1)尊厳を含む機能リストの選定と集計方法の探究,
2)自由と平等の内在的関係を捉える命題の定式化,
3)個人・グループ・位置越境的なアイデンティティの概念化,にある.
2025年5月29日~6月2日まで国際セミナー(労働経済学:シニアと若手7名招聘,社会的選択理論若手6人招聘)(テーマ)「経済学の先端研究に規範的評価をどのように取り入れるか?」
アウトリーチ:「福祉有償運送」(障害者・要介護者など交通弱者対象)から「ライドシェア」への移行政策の批判的検討(福祉事業NPO法人と利用者市民).
2.マイノリティ当事者(特に、障害当事者とその家族)の「生きづらさ」や「尊厳」について、「生きられた経験」に注目し、関係性、身体性、状況性、脆弱性、主観性を主要な特徴とするフェミニズム的な枠組み,ならびに,現象学的アプローチを使って明らかにする。
生と死の関係に対する私たちの理解と対応を、社会やコミュニティから疎外された個人、そしてより広範な人々に対して、どのように再構成できるか,障害のある女性の尊厳や人権の回復と、倫理の確立に向けて必要な事柄について問題提起を行い、尊厳学としての研究と実践のあり方を構想する.
アウトリーチ:当事者性の高い参加者を集めた哲学カフェの企画運営(特別支援学校の在校生と卒業生の保護者を対象)。
3.認知症を有する人の「尊厳」がどう捉えられ、それをどう尊重するかについて、主に医療・ケアの意思決定の文脈において検討する。生命倫理学における先行研究の理論を検討し、家族や医療・ケアの専門職者らとの意見交換を行うことで、意思決定において認知症を有する人の尊厳を尊重するあり方を明らかにする。
とりわけ医療・ケアの受け手が「自律的ではない」と判断される認知症状態などの場合に、意思決定において「その人」にとっての益や害がどのような内容として捉えられているかを検討することにより、「その人」の尊厳やそれを尊重するあり方についての多様な捉え方を把握する。
アウトリーチ:Dipex-Japanとの協同(「健康と病の語り」データベースの利用に基づく個人のケイパビリティの特定と測定)