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国際コンファレンス15th Trans Pacific Labor Seminars, 2025@Tokyo

1.主催:

学術変革A「尊厳学」B03班,帝京大学先端総合研究機構
・科研費 学術変革領域研究A「尊厳学の確立:尊厳概念に基づく社会統合の学際的パラダイムの構築に向けて」(課題番号23A103)
・ムーンショット型研究開発事業「脳指標の個人間比較に基づく福祉と主体性の最大化」(課題番号JPMJMS2294)
・公益財団法人 神林留学生奨学会

2.日時:

2025年5月29日,30日

3.場所:

帝京大学霞が関キャンパス

4.形態:

対面(言語:英語)

5.プログラム:

Date: May 29 (Thursday), 2025
9:00
Opening remarks by Takao Kato and Reiko Gotoh
Session 1:
Inequality, Labor Movement, and Technology
Chair: Peter Kuhn
9:05-9:45
Nina Roussille, MIT: How Does Wage Inequality Affect the Labor Movement? With Barbara Biasi, Zoë Cullen and Julia Gilman
9:45-10:25
Takahiro Toriyabe, Hitotsubashi University: Linking Lifecycle and Cross-sectional Inequality: Cohort Dynamics and the Role of Technological Change. With Christian Dustmann and Eric Klemm
Session 2:
Childcare and Gender
Chair: Ryo Kambayashi
10:55-11:35
Mari TANAKA, University of Tokyo and Hitotsubashi University: The Effects of Workplace Interventions on Men’s Childcare Participation: Evidence from a Randomized Controlled Trial. With Hiroko Okudaira, Mariko Sakka, and Shintaro Yamaguchi.
11:35-12:15
Dmitri Koustas, University of Chicago: Childcare in the Era of Remote Work. With Yana Gallen, Stephanie Karol and Ithai Lurie.
Session 3:
Gender Integration in Organizations
Chair: Takao Kato
13:15-13:55
Melanie Wasserman, UCLA: The Effects of Gender Integration on Men: Evidence from the U.S. Military
13:55-14:35
Chihiro Inoue, Kobe University: Does the Gender Ratio at Colleges Affect High School Students’ College Choices? Joint with Asumi Saito and Yuki Takahashi.
Session 4:
Gender norms
Chair: Reiko Gotoh
15:05-15:45
Virginia Minni, University of Chicago: Managers and the cultural transmission of gender norms
15:45-16:25
Saisawat Samutpradit, Osaka University: Me After You: Household Responses to Spousal Death in a Developing Economy
18:00
Conference Dinner at Garb-central (Tokyo Garden Terrace Kioicho)
Date: May 30 (Friday), 2025
Session 5:
Policy Interventions in the Labor Market I
Chair: Peter Kuhn
9:00-9:40
Nguyen Thanh TUNG, Hitotsubashi University: Minimum Wage, Firm Revenue, and the Role of Product Switching
9:40-10:20
Simon Quach, University of Southern California: The Impact of Pay Transparency in Job Postings on the Labor Market
Session 6:
Policy Interventions in the Labor Market II
Chair: Ryo Kambayashi
10:50-11:30
Katsuhiro Komatsu, Kyoto University: The Welfare Impact of Reemployment Bonuses
11:30-12:10
Peter Kuhn, UC Santa Barbara: Measuring Bias in Job Recommender Systems: Auditing the Algorithms. Joint with Shuo Zhang.
Session 7:
Heterogeneity in Schools and Work
Chair: Atsushi Yamagishi
13:15-13:55
Hitoshi SHIGEOKA, University of Tokyo: Hotter Days, Wider Gap: The Distributional Impact of Heat on Student Achievement. With Mika AKESAKA
13:55-14:35
Miguel Zerecero, UC Irvine: No More Limited Mobility Bias: Exploring the Heterogeneity of Labor Markets
Closing remarks by Peter Kuhn

6.参加人数:

40名

7.概要と振り返り:

【概要】近年,経済学の実証研究は因果推論の考え方を取り入れ急激な発展をみましたが,そのインパクト評価は,たとえば賃金額が上昇するか否かなどにとどまるなど,経済学や他の学問が営々と続けてきた規範的価値判断の議論を無視してきたかのように見えます.政策判断における因果関係を真剣に問うのであれば,政策効果の評価基準も同時に考慮すべきでしょう.本会議では,個別論文に依拠しながらも,互いの視点を交差させることにより,規範的な論点を深めることを試みました.

【振り返り】多くの論文は,すでに複数回のセミナー報告を経て,ワーキングペーパーとして公開されていることもあり,完成度は高く,報告内容も充実したものでした.経済学的な分析技術は申し分のないものであったと思います.各論文が扱った材料は多岐にわたりました.
 たとえば,計量経済学上の方法論では,Miguel Zerecero (UC Irvine) が Abowd, Kramatz, and Margolisによる固定効果の分解方法(いわゆるAKM分解)に新しいモンテカルロシミュレーションの方法を提案しました.また,小松功拓(京都大学)と鳥谷部貴大(一橋大学)はいずれも最適化の解を利用することで,将来にわたる価値判断の流列の集計を簡便化できると議論しました.前者は失業給付の条件を,後者は消費のばらつきを題材とし,内容はまったく異なる論文ですが,実証研究のツールという意味では同じ方向の提案をしています.規範意識の研究は,これから実証研究が必須となっていくと考えられますが,固定効果モデルの推定や,将来にわたる数量の時間を通じて総計する推定(たとえば将来のウェルビーイングの予想値を現時点で評価する場合)などには,これらの計量経済学的知見が不可欠と思われます.
 労働市場における制度の影響を考察したのは Simon Quach (University of Southern California) とNguyen Thanh Tung (一橋大学),Peter Kuhn (UC Santa Barbara)です.Quachは求人広告への賃金額の明示の義務化を,Tungはベトナムにおける最低賃金の上昇を,Kuhnは労働市場におけるマッチングにおけるアルゴリズムを取り上げ,これらが企業の行動に与える影響を考察しました.とくにQuachの論文は,賃金額の明示が同業の競争を促し,賃金を上昇させる効果をもったと議論しています.ただし,この市場競争の効果については,Virginia Minni (University of Chicago) が別の議論を提起しました.この研究は,制度を扱った論文ではなく,多国籍企業におけるマネージャーの背景にある性別規範が,実際の賃金の男女格差に影響を与えることを報告したものです.Quachがいうように,現実の市場における格差が(当事者の意識とは別に)競争の結果としてもたらされるとすれば,当事者の意識も格差に影響を及ぼしえるというMinniが発見した多国籍企業の現状とどう整合的に解釈するべきか,その場での結論は得られませんでしたが,経済学がもつ(情報開示を通じた)市場競争圧力による決定というフレームワークと規範形成との関係をもっと理論的に突き詰める必要があることがわかりました.
 一方,より個別の労働者や生活者の規範形成がどのように行われるかについて示唆される論文もありました.たとえば,井上ちひろ(神戸大学)は男女の進学行動が偏る理由として,性別という意味でマイノリティになりたくないという動機があると議論しました.集団の規範に少数者の価値判断をいかに取り入れるかは規範研究の主要課題のひとつですが,現実には,マイノリティにならないように,行動が先に起こってしまうことを示しています.日本社会において少数者の価値判断が軽視されるゆえの行動だとすると,本研究における規範形成方法の具体化がもつ意味は大きいといえます.また,田中万理(東京大学・一橋大学)は,企業におけるワーク・ライフ・バランス研修の受講や労働者自身が育児休業を取得しようと思ったときに同僚がどう思っているかを開示することが,育児休業の取得と家事参加を促すと報告しました.企業は使用者の立場ですので,本来,労働者の生活規範に介入する必然性はありません。しかし実際には,家庭から離れた勤務場所での働きかけが,労働者の生活意識に与える影響は無視できないでしょう.本研究では互いの伴侶がいない状況での,いわば一方的介入が,相互の合意が必要な規範形成に与えた影響を議論しているのですが,その詳細のメカニズムについて将来の研究の深化がまたれます.さらに、Saisawat Samutpradit (大阪大学)は伴侶の死去という重大事件に際しての行動様式の変化を考察し、Dmitri Koustas (University of Chicago) はパンデミック後の子育てにかんする市場サービス支出が減少したことをつきとめ、それがリモートワークの普及によることを示しました。子育てを誰が担うかは重要な社会規範で、日本でもどのように動かすかを巡って議論が絶えませんが、規範意識というよりは、単に家庭での滞在時間の長短という経済的制約による行動様式の違いに帰着されることになります。この論文のように行動様式の違いがはっきりと追えれば規範意識との分離は可能かもしれませんが、日本のように行動様式をはっきりと追えないときに規範意識と行動様式の違いをどう整理するべきなのかという問題提起は私たちの実証研究に通じるところがあります。
 重岡仁(東京大学)は気候変動による気温の上昇が学校における学業成績の劣化を招き、空調の導入によってその劣化を相殺できることを示した論文を報告しました。この論文は一見するとこのコンファレンスとなんの関係もないように思えますが、環境変化がヒトの思考に確かに影響を及ぼすことを示しています。さすがに、昨今の世界的な動静不安が気候変動の結果だとする考え方は突拍子もないことのようにも思えますが、気候変動によってひとびとの協力志向が左右されるなどの論点はまだ追及されておらず、研究する準備も十分に整っているとはいえません。ヒトを生物としてとらえるとき、与件となる気候変動の影響は確かに新しい論点になりえるかもしれません。
そのほか,各論文の要旨については下記を参照ください. 

(神林龍 記)

 以上のように,各論文はいずれも規範研究とのつながりをもつ視座をもっていました.以下では,2つの論文を取り上げて,より具体的に規範的な論点の考察を試みます.

(1)Nina Roussilleらによる ‘‘How Does Wage Inequality Affect the Labor Movement? ’’について.
 かつて労働運動(組合)を支持する人々の意識には,労働搾取への怒りが共有されていたように思います.経営者と労働者,労働者と労働者の間の賃金不平等の事実は,反語的な言い方をすれば,労働運動を活性化する「糧」ともなっていたと言えます.
 それに対して,手堅い実証研究により導出された本論文の結論はいささか衝撃的です.現代USAにおいては,賃金不平等の事実が,労働者たちの意識の中で前景化して,労働者たちの集団行動それ自体を困難にしているというのです.
 例えば,労働組合の組織者は,賃金不平等の大きな環境を回避して,比較的均質な小集団で,賃金要求をめぐる内部対立を,アメニティなど非賃金的な要求に逸らす戦術をとる傾向にあるといいます.不平等な環境で個人的な交渉から利益を得る労働者らは,まっさきに集団行動から離れる傾向にあるといいます.
 もし,これらが真実であるとしたら,ますます拡大していく賃金不平等に対する拮抗力を,もはや労働組合はもたない,と結論づけられることになります.この結論は,現代のアメリカ福祉国家が直面する困難を適切に捕捉しているといえるかもしれません.
 気になったのは,ここでとられた研究方法です.1つ目の実証実験において著者らは,「平等賃金」と「技能に応じた格差賃金」という2つの環境を設定したうえで,組合組織者らの評価とパフォーマンスを探っています(ヴィネット調査).また,ストライキに参加中の労働者に賃金不平等の報告書を見せたうえで,彼らの意識の変容可能性を探っています.
 これらは,マイルドではありますが,明らかに介入研究です.いかなる調査研究も,研究目的からの暗黙の影響から逃れられないという意味で,私は介入研究を否定するものではありません.むしろ著者らの果敢な研究活動に拍手を送りたいです.問題はその設計です.
 ある集団における賃金不平等をどう評価するかは,規範的・公共的な問題です.それぞれの回答者が,自分の立ち位置を離れて集団全体を見わたすソーシャルプランナーの視点を要求されます.ここにequityをめぐる公共的推論を創出することはできないものでしょうか.理のある複数の分配基準(例えば,「貢献に応ずる分配」と「必要に応ずる分配」など)を,いかなる目的のもと,どのような割合でバランス付けるべきか,それを皆で討議し,合意形成するための素材です.
 その手がかりが1つ目の実証実験でなされたヴィネット調査にあるように思うのですが,そこでとられた規範的な設問と解釈が,他の2つの調査研究とどうつながるのかが,私にはよくわかりませんでした.いつかまた,ご議論できることを楽しみにしています.

(2)Melanie Wassermanらによる‘‘The Effects of Gender Integration on Men: Evidence from the U.S. Military’’について.
 本稿の主要な関心は,性別による職業分離一般にあり,「戦闘職種」(民間軍事会社における)の特殊性の探究ではないと思われます.「how men respond to the initial entry of women into an exclusively male occupation?」という冒頭の問いも,「Leverage removal of explicit ban to shed light on implicit barrier」という問題関心も,そして,「男性の認識とパフォーマンスの間にはくさびがある」という結論も,性別による職業分離一般にあてはまる普遍性を持ちます.
 付記すれば,本稿が分析に用いた3つの認識指標(Organizational Effectiveness, Equal Opportunity, Sexual Assault Prevention and Response)と複数のパフォーマンス指標(定着,昇進,降格,離職,刑事告発,健康状態など)は,性別による職業分離一般に適用可能な,包括性を持ちます.本研究の応用可能性がきわめて広いことは間違いありません.
 とはいえ,同時に,本稿は,「戦闘職種」に関する詳細な管理・調査データを基礎とすることにより,「戦闘職種」それ自身がもつ特殊性をもあぶりだすことに成功しています.そもそも「戦闘職種」とはどのような技能やモラル,責任を要請される職種であるのかという,性別による職業分離一般には解消されない,「戦闘職種」に伴う固有の規範的問いを引き受けているように思います.そうだとしたら,次の2つの問いを付加してはどうでしょう.
 i)「ジェンダー平等化」が進展されていく背後で,それを口実としながら,人種間の不平等化,あるいは国籍間の不平等化を容認されることがありはしないか.
 ii)「ジェンダー平等化」は,「戦闘職種」それ自体に,あるいはそれを取り巻く環境に,変化をもたらす兆しはあるだろうか(例えば,戦闘先の住民たちの権利や尊厳への配慮を高めるようになる,戦闘の終結に向けた動きを促進するなど).
 2つ目の問いは,一般に,母性という生物学的本質主義に流れるおそれがあります(女性は平和を好む性質をもつなど).けれども,本稿はそれを免れます.本稿の分析枠組みは,「マイノリティの参入が既存の価値を組み替える可能性」として,問題を一般化することを可能とするからです.1つ目の問いに付記すれば,経済学の外では,差別のインターセクショナリティの議論が活発になっています.そこに本稿のような手堅い経済学的実証研究が参加するとしたら,エキサイティングです!

 以上,方法論と政策的含意という2つの視角から,各論文を読み解くことにより,次の論点が浮かび上がってきました.研究者が,どのような政策的含意を導出することになるかは,いかなる調査分析方法を採るかと深く関連します.そしていかなる調査分析方法を採るかは,研究者自身のもつ(通常は,暗黙の前提とする)規範理論に深く規定されます.このことは,事実解明的な分析を行う際にも,それに先立って,あるいは,それと並行して,分析の前提となる規範理論それ自体の検討が不可欠となることを示唆しています.
 これが,計量経済学の最先端の研究グループであるTPLSと,尊厳学研究グループの連携から得られた貴重な知見でした.

(後藤玲子 記)